この事業は一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)の共通目的基金の助成を受け実施されています。
フィリップ・レスナー さく アーノルド・ローベル え
こみやゆう やく アノニマ・スタジオ
知り合いのいない町に引っ越してきたダッドリーくん。自分のことを知ってもらおうと、隣の家の男の子や町の人にどんどん声をかける。そうして出会ったいろんな人や動物とのゆかいな12のおはなしが集まった短編集である。
ダッドリーくんは、どんなことにも好奇心をもち、ものごとをまっすぐに捉えて、世界を楽しむ自立した心をもっている。ダッドリーくんの自転車に乗っていってしまうおばあさんや、わすれんぼうの動物園のゾウに、気のいい魔女、迷子になった泣き虫のおまわりさんなど、それぞれのおはなしの登場人物も、とても個性豊かで魅力的だ。
ひと癖もふた癖もある彼らとの出来事は、思わず笑ってしまうようなことだったり、心が癒されるようなことだったりとそれぞれ違う展開になっているが、ダッドリーくんの子どもらしい率直さが一貫している。軽妙な会話で展開していくおはなしは、上質なユーモアやウィットに富み、読み手である子どもが抱くちょっとした疑問や、思いつきなどから起こる小さな出来事と重なり、彼らを惹きつけるだろう。原作が書かれたのは1965年と古いが、こうした子どものもつ好奇心や率直さは普遍的であり、時代を越えて楽しめる点が選考会でも高く評価された。
アーノルド・ローベルの絵による情景描写が全ページに入り、おはなしの魅力を増している。また、カバーなしで、幅広の白い帯がついている装丁も目を引く。その帯には12のおはなしの挿絵がちりばめられており、「どんなおはなしだろう?」という期待がふくらむ。フォントが小さく漢字も多用されているので自分で読むなら中級向きだが、おはなしは幼児から楽しめる内容なので、声に出して読んであげてほしい作品だ。
『ぼくは学校ハムスター 1
ハンフリーは友だちがかり』
ベティ・G・バーニー 作 尾高 薫 訳 ももろ 絵
偕成社
ロングフェラー小学校の26番教室で飼われることになったハムスターのハンフリーは、好奇心が旺盛で、茶目っ気があって、正義感と行動力にあふれている。人間の言葉を理解し、実はケージの鍵を内側から開けて抜け出すこともある。<ぼくは学校ハムスター>シリーズは、ハンフリーが週末に預けられる子どもや教師たちの家庭で、教室ではわからなかった彼らの一面や困りごとを知り、それを解決するために奮闘する物語である。アメリカでは全13巻が刊行され、日本ではそのうちの3巻が翻訳されている。
主人公がハムスターであることで、動物好きの子どもはもちろん、読み手の子どもたちは親近感を持って本を手に取るだろう。アメリカならではのイベントや授業内容に、日本との違いを感じながら読むこともできる。それぞれの子どもや家族が抱える問題は普遍的で、読み手は共感しながら読むことができる。そしてそれ以上にこのシリーズが魅力的なのは、登場する子どもたちの個性、多様性がいきいきと描かれていること、それらにハンフリーが関わり、小さな体で大きなエールを送ることによって、子どもも大人も自分が抱えている問題に向き合い、少しずつ勇気を出して、前を向いて笑顔になってゆくことだ。
幼年童話からステップアップして、「何かおもしろい本ない?」 と声をかけてくる子どもがいたら、ぜひ薦めて手渡したい。英語版にはないイラストが日本語版には多数施されているのも、子どもがひとりで楽しく読む手助けをしたいという出版社の意思を感じる。外国文学への入り口にもなり、子どもたちが物語世界を自分の力で楽しみ、読む力を伸ばすことを応援してくれる、とびきり楽しいシリーズの1冊目である。
『水平線のかなたに ー 真珠湾とヒロシマー』
ロイス・ローリー 著 田中奈津子 訳 K・パーク 画
講談社
日本軍の真珠湾奇襲攻撃とアメリカ軍の広島への原子爆弾投下で、命を奪われた多くの人々の生きていた証を、魂のことばで綴る。真珠湾攻撃、広島の原爆、著者が戦後日本で数年過ごした体験の3部構成で、洗練された41篇の詩と描き込み過ぎない象徴的な画が読者に思慮の余地と緊張感を与える秀作である。
ハワイ生まれの著者は、昔父が撮ったホームムービーを見て、幼い自分のむこう側に戦艦アリゾナが映っていたと知り驚く。撮影の翌年、戦艦アリゾナは撃沈され乗っていた兵士1177人は死者となった。入隊したばかりの18歳の若者、前日に誕生日を妻と祝った機関士助手、医者になるのが夢だった青年。そして、被爆し12歳で亡くなった少女、「ともだち」である三輪車に乗ったまま犠牲になった4歳の男の子、路面電車運転中に被爆し生き残り悪夢に苦しんだ女学生。著者の人生を起点とし、一人ひとりの生きざまをただ静かに物語る。その描写に憎しみは存在しない。だが、戦争に勝敗は無く敗者のみを生み、敵味方関係無く人間に苦しみと哀しみを残し続けるという力強い訴えを、読者へ鋭く突きつける。
戦後の日本で偶然出会った少年と40年後巡り会った著者は、「作者あとがき」でこう述べている。「過去に学び、よりよく、より平和な未来を築くことを、同じ人間同士が心に誓うこと」が大事だと。今、大人たちは子どもたちとこの本を読む必要がある。過去の過ちを決して忘れないために、本当の平和を祈り続けるために。
『新ドリトル先生物語 ドリトル先生ガラパゴスを救う』
福岡伸一 著 朝日新聞出版
動物と話せるお医者さん、ドリトル先生と助手のスタビンズくんは、ある日、ロンドンに住むスズメのチープサイドからビーグル号がガラパゴス諸島に向かうという知らせをもらった。ガラパゴスの自然を守り、大国の手から救うために気球に乗り込み冒険の旅に出発する。サブタイトルに「新ドリトル先生物語」とあるように、長年読み継がれてきた古典的名作、ヒュー・ロフティング作「ドリトル先生物語」シリーズ(井伏鱒二訳、岩波書店他)をもとにした生物学者、福岡伸一さんのオリジナルストーリーで新聞に連載され、加筆修正の上、書籍化された。
ナチュラリストである著者はガラパゴスを訪れ、大自然のあり様に感動、ダーウィンを乗せたビーグル号がガラパゴス諸島を訪れたという史実によせて創作したという。180歳を超えたオウムのポリネシア、ゾウガメのジョージ、コウモリや鳥たちの生態、気球の旅や、生物の不思議さに満ち溢れたガラパゴス諸島でダーウィンと歴史的な対面を果たし、やがて生還するなど物語として独創性に溢れている。
ドリトル先生と出会って、未知の世界へと冒険の扉を開いていくスタビンズくんの成長物語でもあり、スタビンズくんがドリトル先生とはぐれてジャングルの中でひとりになったとき鳥の目で地図をつくり書き込む記述では、自分の生き方や進路に迷った子どもへの福岡ハカセからのエールなのでは、という声もあった。あらゆる生きものに敬意を持って行動していくこと、子どもの学びと成長の物語として、生きものに共感し、連帯するドリトル先生のナチュラリストとしての思いを伝え、地球の生物多様性を守ろうとする姿勢が評価された。多くのナチュラリストを育ててきた「ドリトル先生物語」シリーズにもあらためて光を当ててほしいという意見もあった。
『目で見ることばで話をさせて』
アン・クレア・レゾット 作
横山和江 訳 岩波書店
9 世 紀 初 頭 の ア メ リ カ を 舞 台 と す る 歴 史 小 説 。 ど の 家 に も 耳 の 聞 こ え な い 家 族 が い て 、誰 も が 手 話 で 語 る こ と が で き る 、 ア メ リ カ に 実 在 し た 島 が モ デ ル 。 物 語 を 作 る の が 大 好 き な メ ア リ ー は 11 歳 。 家 族 で は 父 と 彼 女 が 聾 者 、 母 と 最 近 亡 く な っ た 兄 が 聴 者 。 誰 も が 手 話 を 使 う こ と で 「 聞 こ え な い 」 こ と が 障 害 で は な く な っ て い る 村 の 生 活 が 、 事 実 を ベ ー ス に 説 得 力 を も っ て 描 か れ る 。 口 語 の 会 話 と 手 話 の 会 話 は 「 」 と 《 》 で 書 き 分 け ら れ て い て 、 ど ち ら の 言 葉 も あ た り ま え に 共 に 存 在 し て い る 様 が 読 者 に も す ん な り と 理 解 で き る 。 ま た 、 手 や 指 だ け で な く 顔 の 表 情 や 体 全 部 を 使 う 手 話 表 現 の 描 写 に は 、 作 者 自 身 も 手 話 を 使 う 聾 者 で あ る こ と が 生 か さ れ 、 自 然 か つ 魅 力 的 。 教 会 で の 手 話 通 訳 者 の 生 き 生 き と し た 語 り を 村 人 み ん な が 夢 中 に なっ て 聞 き入る場 面 に は 、演 劇 を 見 て い る よ う な 臨 場 感 が あ る 。
バ リ ア フ リ ー と い う 概 念 が な か っ た 時 代 に 、 聴 者 と 聾 者 が 共 に 手 話 を 使 う こ と で ナ チ ュ ラ ル に 共 生 し て い た 歴 史 が 、 物 語 と し て 魅 力 的 に 紡 が れ る 。 聴 こ え な い こ と は 不 便 な と き も あ る け れ ど 、 さ ほ ど 不 自 由 で は な い し 、 ま し て 不 幸 で は な い こ と が 、 家 族 や 村 の 描 写 か ら 伝 わ っ て く る 。 そ の 一 方で、島内に様 々 な 民 族 差 別 は あ り 、 聡 明 な 主 人 公 は そ れ も 見 逃 さ な い 。 島 外 か ら の 調 査 者 が 体 現 す る 障 害 者 差 別 や 人 権 無 視 、 手 話 を 知 ら な い 人 た ち の 無 理 解 、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 難 し さ な ど も き ち ん と 押 さ え つ つ 、 手 話 = 目 で 見 る こ と ば の 力 が 一 貫 し て 主 人 公 を 支 え て い る 様 が 描 か れ る 。 邦 題 は 手 話 も ま た 言 語 の 1 つ で あ る こ と 、 聾 者 は 手 話 を 使 う 発 信 者 で あ る こ と を 明 確 に 伝 え る 。 自 分 の 力 で 、 そ し て 人 と 力 を 合 わ せ て 、 生 き て い く た め の 勇 気 を 描 く 作 品 。
『カメラにうつらなかった真実 3人の写真家が見た日系人収容所』
エリザベス・パートリッジ 文 ローレン・タマキ 絵
松波佐知子 訳 徳間書店
80年以上の時を経た今も、「リメンバーパールハーバー」のスローガンが、時折、耳目を集める。本書は、「1941年12月7日早朝(日本時間12月8日午前3時)、日本軍がハワイ州真珠湾のアメリカ海軍基地を爆撃しました。」の一文から始まる。その見開き場面には、右に爆撃により燃え上がる炎、左にはラジオに聴き入る日系人家族が身をひそめるように描かれている。ページをめくると、一転、結婚式の記念写真と見守る家族のイラスト、写真館のカーテンの陰には捜査官らしき姿が描きこまれている。ページをめくるたびに開戦時の日系人たちが置かれた状況が、簡潔な文章で語られ、当時の資料とイラストを使ったグラフィックアートの技法により、手に取るように浮かび上がってくる。
合衆国本土では、真珠湾攻撃後、西海岸に住む日系人を「移送」と称し強制収容した。憲法で守られているはずの人権が、いとも簡単に蹂躙されたのだ。
政府の依頼をうけ心を痛めながら撮影をしたドロシア・ラング。収容所に持ちこんだ機材をこっそり組み立て撮影した宮武東洋。忠誠心を大事に考え被写体にポーズを付けたアンセル・アダム。立場の違う3人の写真家が撮影した写真に、イラストと真実を語る言葉を使って強制収容の実態を知らせ、戦時になるということの非日常性があぶりだされていく。
米政府は収容所を「戦時転住センター」と名づけ、この言いかえは、戦後も長期にわたって続いていたという。言葉の裏にある真実を見極めて、確かな史実を伝えていくことの大切さを解説やあとがきで訴え、人種的偏見や排外主義の歴史へと視野を広げている。次世代を担う子どもたちが、過去に学び、今を考え、あふれる情報から真実を読み取る手立てを学ぶことができる質の高いノンフィクション絵本である。
『ねえ、きいてみて! みんな、それぞれちがうから』
ソニア・ソトマイヨール文/ラファエル・ロペス絵/
すぎもとえみ訳/汐文社/2021.
みんなで庭つくりをしている、同じような年頃のさまざまな肌の色の子どもたち。自分の得意なことを活かしながら自分らしいやり方で生き生きと参加している彼ら一人一人は、それぞれ異なる生きづらさを幼いころから抱えている。
多様性、ダイバーシティという言葉はいろんな場所で使われるようになってきてはいるが、障害や病気といった困難を抱えている人については見ないふりをする、触れないようにする、いないことにするといった社会的な疎外がまだまだ続いている。
この絵本は当事者の立場から、そんな風に見ないふりをしないで、私たちはここにいるよ、なにが違うか聞いてみて、そして知って、とストレートに語りかける。糖尿病でインスリン注射が欠かせない子、喘息で吸入が必要な子、盲導犬と歩く子、白杖を使う子、吃音のある子、体を動かさずにはいられない子……。大変なこともあるけれど、みんなそれぞれのやり方で工夫しながら生きている。そして同じところもあって、それは「いろんなことをききあって、おたがいをよく知ろうとするところ!」。
作者はアメリカの最高裁判事(ヒスパニック系女性として初)で、児童向けの著書には自伝絵本もある(未訳)。この本の語り手ソニアには、子ども時代からインスリン注射が必要だった作者自身が投影されている。学校で注射をしていても、何してるのと聞いてくれた子はいなかった、いけないことをしていると誤解されもしたという哀しみが、年月を経てこの作品を生んだ。画家は社会的な差別を扱った前作『みんなとちがうきみだけど』に続き、デリケートな主題を心が解放されるような生き生きとしたタッチで描く。翻訳も語り口をうまく生かして親しみやすいものに仕上げている。読み聞かせにも向く本で、「みんながちがうからこそ、世界は楽しく、おもしろくなっているんだよ」という明るさ、歯切れのよさは、幼児や小学生だけでなくYAにも届く力を持っている。
『すみれちゃんとようかいばあちゃん』
最上一平作/種村有希子絵/新日本出版社/2021.
すみれちゃんの90歳の曽祖母は、山また山のその奥、湧き水を引いた茅葺の家で一人暮らし。2年前に訪ねた時、曽祖母は山に向かって四股を踏み、すみれちゃんに土地や山への挨拶を教えた。真似をしたら、ばあちゃんの友達だという天狗様の笑い声が響いた。「ばあちゃんも、ようかい?」と思って「ようかいばあちゃん」と名付けたのだ。周囲の川も岩も道も名前をつけ直し、辺りはすみれちゃんにとって特別な場所になる。
この春、自ら望んで初めてばあちゃんの家に一人でお泊り。散歩中、ばあちゃんは、アリと菫の共生を語ったり、天気雨の中で狐と話した後、指で作った狐の影を飛ばしたりする。夜、囲炉裏で焼いたアツアツお焼きを平気で素手で持って灰まみれで差し出し、いろりの神さまが作った灰だから体にいいぐらい、と言うのだ。一緒に過ごすほど「やっぱり、ようかい」の思いは強まる。夜、布団の中で目をつぶったばあちゃんは昼間の狐が見えると言い、すみれちゃんもきっと見える「念ずれば叶う」と教える。そして、見えた光景の不思議さ。
空想物語ではなく、自然と一体化して生きてきた曽祖母と曾孫との交流を、現実と空想をらくらくと行き来する幼子の感じ方で描いた作品。1頁9行、分かち書きの62頁で、曽祖母の言動に目を見張り独自の空想をたくましく広げる主人公の体験が、幼児にもわかる表現でいきいきと描かれていて見事だ。曽祖母は温かな土地言葉で時におどけ、時に真剣に曾孫を愛おしむ。二つの世代の至福の時間が詰まった物語である。自然の恵みや土地神に感謝する曽祖母の精神世界が世代を超え伝承されていく点、読後、本当に優しい気持ちになれる点も評価された。装画、挿絵も大袈裟でなく好評だった。5歳位からの読み聞かせにも向く。続編、お盆の『ようかいじいちゃんあらわる』、お正月の『ようかい村のようかいばあちゃん』で、その世界がより広がっていく。
『帰れ 野生のロボット』
ピーター・ブラウン 作・絵/前沢明枝 訳/
福音館書店/2021.
2018年刊の『野生のロボット』で、無人島に流れ着いたロボットロズは、助けたガンのひなを養子とし、野生動物たちに受け入れられ、野生のロボットとなった。人間たちは、異質なロズを認めず、無人島へロボットを派遣して連れもどそうとする。ずたずたに破壊されたロズは、息子のキラリや友だちのもとへ必ず帰るという強い決意をもって無人島を離れる。2021年刊の待望の続編『帰れ 野生のロボット』は、ロズが人間社会で修理され作業用ロボットとして目を覚ますところからスタートする。
自然と科学への問いかけに加え、今作はロズの目を通して描写することで、人間社会の在り方を問う作品になっている。ロズは、妻を亡くした男と二人の子どものいる農場で誠実に働き、信頼を得て、なくてはならない存在となる。家族の元へ帰るために自分の能力を隠していることに葛藤するが、子どもたちはロズの決意を知って背中を押す。ロズは農場を出て故郷の無人島へ向かう途中でつかまり、ロボットとして不適格とされ破壊されることになる。
他と違うものを排除しようとする人間社会に対し、ロボットのロズは相手を尊重し対話して信頼関係を築く。「故郷に帰る」というただひとつの願いをかなえるためにまっすぐに生きる。ロボット、人間、野生動物というカテゴリーを超えて、愛情や信頼、家族のあり方など、生きるために大切なことを子どもたちに考えさせる物語世界が、独創的で豊かな広がりを持ち、魅力的である。
躍動感ある文章と、著者自身の手による鉛筆画とコンピューターグラフィックを融合させた画法のイラストが子どもたちをひきつける。翻訳された文章は大人が声に出して子どもに読んで聞かせる時、心地よいリズムが生まれるように整えられている。訳者の前沢明枝氏が、原作者にかわって作品を日本の子どもたちへ届けるために言葉を選び抜いていることが伝わり、氏の「異文化間の橋渡し役」としての熱意もまた評価の理由となった。
『自然を再生させたイエローストーンの
オオカミたち』
キャサリン・バー 文/ジェニ・デズモンド 絵/
永峰涼 訳/辛島司郎 植田彩容子 監修/
化学同人/2021.10
アメリカ北西部に広がるイエローストーン国立公園は、1872年に世界初の国立公園に指定され、間欠泉や虹色に輝く温泉といった火山が作り出す地形で知られている。このイエローストーンは、人間によるオオカミの乱獲により、生態系のバランスが崩れ、荒廃した時期があった。豊かな自然をよみがえらせるべく、政府や法律家、科学者、自然保護活動家が20年間も話し合い、1995年から実施された「再自然化」の取り組みを紹介したのが本書である。
再自然化とは、「人間の影響を少なくして自然の働きに任せ、野生動物にとっても、人間にとっても、健全な環境を回復させる方法」である。カナダから飛行機で運ばれた14匹のオオカミは、公園内に設けられた広大な囲いに10週間留め置かれ、新しい環境になじんできたところで外に放たれた。オオカミたちがエルクを狩るようになると、エルクは警戒して長く同じ場所に留まらなくなり、エルクに食い尽くされていた草が増え、木の根のはりもよくなり緑がよみがえった。小動物の数は増え、自然は本来の姿を取り戻していった。生態系のバランスがゆっくりと連鎖的に変化していく様子が丁寧にすくいあげられ、臨場感あふれるダイナミックな絵とともに流れるようなストーリーとして表現される構成が秀逸である。時に、動物や植物の絵に名前や解説をほどこし、図鑑のように楽しめるという魅力も兼ね備えている。終盤では、他の再自然化の事例も紹介され、子どもたちの知的好奇心を刺激してくれそうだ。
人間が破壊してしまった環境をいかにして取り戻すかは、今、人類が直面する大きな課題の1つである。長期的な視野をもって自然が本来もつ力を引き出す再自然化という方法を子どもたちが知り、更に探究していくきっかけになる作品として本書を作品賞に選んだ。出版元の化学同人は、ここ数年、新鮮な視点の科学絵本を意欲的に出版しており、これからも子どもの知識の芽を育むような作品を期待したい。
『オール★アメリカン★ボーイズ』
ジェイソン・レノルズ/ブレンダン・カイリー 著/
中野怜奈 訳/偕成社 2020.12
金曜夜、アメリカの男子高校生はみんな、パーティーで出会う女の子のことで頭がいっぱい。参加前にポテチを買いに寄った店で、黒人少年のラシャドは万引き犯と誤認され、店に詰めていた警官に逮捕、無抵抗なのに凄まじい暴行を受け病院送りに。別のパーティーに行く途中の白人少年クインが目撃。殴られてる奴、同じ高校? 殴ってる警官は、兄貴みたいに慕ってきた隣家のポール! ボロ雑巾のようなラシャド、悪鬼のようなポール、信じられない光景にクインは思わず逃げ出すが、記憶は繰り返す。
「いかにもアメリカ人らしい」という意味で白人の好青年の形容に使われもする「オール・アメリカン」。作者二人がタイトルに込めたのは、それを超えて「アメリカに生きるすべての少年」に捧ぐ、という思いではないか。黒人の被害少年の視点から黒人作家のレノルズが、白人の目撃少年の視点から白人作家のカイリーが、一人称で一章ずつ交互に、事件からの八日間を描く。
二〇二〇年、BLM運動は世界的なうねりを見せ、日本でも連帯の環が広がりはじめた。折しもコロナ禍で欧米のアジアン・ヘイトも過激化。加害も被害ももう他人事ではない。
事件の動画の拡散を契機に高校生たちは女子を中心に立ち上がり、「警察の暴力はいらない」デモを企画する。現実をリアルタイムで反映し、読者が今を生きるよすがとも伴走者ともなるのが優れたYA文学の条件だ。不正に対し中立を気取ることはすでに差別への加担なのだと気づいていくクインの姿に日本の読者が寄り添うとき、問題を「自分ごと」としてとらえる回路がひらかれる。選考の大きなポイントとなったこの作品の特色だ。
『王の祭り』
小川英子 著/佐竹美保 装画/
ゴブリン書房 2020.4
1575年、京(みやこ)で明智光秀の屋敷に滞在する信長と、ロンドンから夏の休暇に向かうエリザベス女王の東西二つのエピソードが、時代背景を語るプロローグ。一転、舞台は、エイヴォン町とその近郊ケニルワース城へと移っていく。本が好きで朗誦が得意なぼんやりウイルと呼ばれる少年が、妖精パックと出会って、ペスト菌を利用したエリザベス女王暗殺の目論見に巻き込まれ、時空を超えて女王ともども異国の地、極東の日本へと飛ばされる壮大な物語が広がっていく。
時おりしも、光秀謀反の本能寺の変の前夜。奇しくもその場に居合わせたウイルと女王の一行は、信長の家臣の元黒人奴隷弥介に案内され、難を逃れる。その先で出会った少女お国と旅の一座に助けられ、イギリスへ帰る手立てを探すウイルたち。11歳のウイルと12歳のお国が出会い、時代の波に揉まれながらも、将来の夢に向かって本当にやりたいことは何かと思い悩む姿が、物語のなかで活写され同世代の読者が共感を持って読める筋立てとなっている。
弥介や宣教師たち、河原の旅芸人たちなどさまざまな登場人物の多彩な生きざまが描かれ、時の権力者と市井の人々との対比を際立たせている。その中で、さりげない処世訓や非常時の噂の怖さなど、示唆に富むエピソードが随所に挟まれ、現代につながる世相を見る眼を問う姿勢を持つ力強い作品である。
有名な史実を織り交ぜ、異界の力を借りて、時空を超えたファンタジーで脚色したストーリー展開は、読書の醍醐味を満喫させてくれるおもしろさがある。なおかつ、実在の歴史上の著名人を身近に感じさせ、世界に眼を向ける好奇心を刺激し、子どもたちの視野を広げ、探求心や想像力を掻き立たせる力を物語から感じとることができる。
『命のうた ぼくは路上で生きた 十歳の戦争孤児』
竹内早希子/著 石井勉/絵 童心社 2020.7
なぜ孤児になったのか? 路上生活からどのようにして抜け出し戦後を生きてきたのか? これらは本作品を読み進めるうえで大きな課題となる。さらに命のうたとは何なのか? 筆者は本人に取材をし、舞台である神戸の街を歩きながら、どうしても子どもたちにこの事実を知らせたいと筆を進めた。
セイちゃんこと山田清一郎氏は空襲で相次いで親を失い、路上で生活をすることになる。食べるためには、漁る、拾う、盗むしかない。不衛生なためお腹を壊し死んでしまう仲間がいた。寒さから身を守るため無賃乗車をして暖をとった。トマトを盗んで逃げる途中米兵のジープにひかれて事故死した仲間もいた。セイちゃんは様々な生活を経験し死に直面する度に「母ちゃんがくれた命や!」「おまえの分もいきてやるからな!」と固く誓う。心が折れそうなときに思い出すのは母が口ずさんでいた「浜辺の歌」。「自分のことに目を向けてくれる大人が誰もいなかったことが一番つらかった」と語った山田氏。やがて自身のことを考えてくれる大人に出会い、学校に通えるようになり本人の努力で中学校の教師となり、定年まで勤めた。
出会った人々の姿が生き生きと描写されている。「人々は浮浪児を犯罪者予備軍という目で見るようになっていた」とあるように、劣悪な社会環境のため孤児に対して冷たく接した人々も多かったが、温かく見守ってくれた人たちもいた。列車の機関士は温かい所に誘導してくれた。何日もお風呂に入れなかった孤児に、シャワーを浴びさせこぎれいな衣服を提供してくれた米兵もいた。食糧難のなか、乾パンをくれた傷病兵もいた。現在の子どもたちはこれらから当時の人々の想いや社会の様子を想像することができるだろう。
取材内容の適切かつ巧みな文章で情報化、そして歴史の貴重な資料となる本作品は賞にふさわしい。
「特別賞」 ー戦後75年に刊行された本としてー
「ベルリン」3部作
クラウス・コルドン 作/
酒寄 進一 訳/
カバー画 西村ツチカ/
岩波書店 岩波少年文庫
戦後ドイツ児童文学を代表する作家、クラウス・コルドン氏の代表作であり、20世紀前半のベルリンを舞台に、時代の転換期を労働者一家の目線で描いた作品がふたたび、岩波少年文庫から上・下巻として刊行された。戦後75年が過ぎ、平和とは何かを改めて考えることに鑑みて、「ベルリン」3部作シリーズを「特別賞」として選んだ。
『ベルリン 1919 赤い水兵』 ( 上 ・下)(岩波少年文庫622)
1918年冬、ドイツ帝国下のベルリン。貧しいものが暮らすアッカー通り37番地。貧しい労働者一家の息子、ヘレの視点で描く「転換期3部作」第一作。第1次世界大戦の終結と皇帝の退位、革命後の顛末、「忘れられた冬」が克明に描かれている。
『ベルリン 1933 壁を背にして』( 上 ・下)(岩波少年文庫623)
1932年夏、ヘレの弟ハンスは世界恐慌のなかで就職することができた。「よりよき未来」を約束するナチは選挙で大勝しヒトラーが首相の座につく。政敵への弾圧が激しさを増すナチ政権奪取までの数か月間を15歳のハンスの視点で綴った第二作。
『ベルリン 1945 はじめての春』( 上 ・下)(岩波少年文庫624)
1945年冬。繰り返される空襲に瓦礫だらけの戦争終結前のベルリン。ヘレの娘、12歳の少女エンネは両親代わりの祖父母とアッカー通りのアパート暮らし、敗戦のなかを生きて家族の秘密を知っていく。「戦後」変わりゆく過程で、人生の変転を描く完結編。
戦争のない平和な世界をつくるには、どうすれば良いのか。平和を考える本として戦争についての事実を伝えるためにも、戦争を知らない若い世代へ、さらに次の世代へと伝えていきたい作品であるところが高く評価された。2006年に単行本として出版後、原書新版で作品全体の構成が手直しされ、訳文も準拠して岩波少年文庫から刊行された今こそ中学生以上の子どもたちに手渡していきたい。
『『おれ、よびだしになる』
中川ひろたか 文/石川えりこ 絵/アリス館
2019年12月
「ぼくは ちいさいころから すもうが すきで いつも テレビで すもうを みてた。」・・・と書き出す『おれ、よびだしになる』。テレビにかじりついて応援し、せんすをひろげてよびだしさんをまねてみる男の子。5歳の誕生プレゼントに福岡のお相撲に連れて行ってもらい、実際の迫力や、そこで働く人々が身近になる。
子どもたちは『どすこいむしずもう』や『ねずみのすもう』などの絵本がすきで、雨の日など「○山・△山・はっけよい!」と、呼び出しもして「おすもうごっこ」で遊んでいたことを思い出す。
本作は、日本文化としての 「相撲」を 「よびだし」という仕事にあこがれる少年の目を通して伝えていく。中学を出て飛び込んだ相撲部屋での生活は、食事も寝るのも大きな体の お相撲さんと一緒。 「呼び出し」としての修行も 「よびあげ」「ふれだいこ」「はねだいこ」「土俵つくり」、やがて本番土俵にも立っていく。 相撲文化を分かりやすく伝えながら、男の子が成長していく過程、―生懸命さが伝わってさわやか。中川ひろたかさんの端的な構成と言葉選び。 そして、石川えりこさんのソフトで繊細なのだが線の強弱や、時折さしてくる鮮やかな色使いなど、勢いや思いが伝わってくる絵にワクワクする絵本になっている。
選考の過程で本作の独自性と、石川えりこさんの作品毎に個性的な表現に引き付けられ、今後 への期待が大きいことが挙げられた。
『ぼくの帰る場所』
S・E・デュラント 作 杉田七重 訳
鈴木出版(この地球を生きる子どもたち) 2019年10月
ロンドンに暮らす11歳の少年AJの夢は、ウサイン・ボルトみたいなランナーになること。走る喜びを彼に教えてくれたのは、 元ランナーの祖父で、AJは祖父のことが大好きだった。両親は学習障害者だが、祖父がお金や書類の管理を助け、一家は穏やかに暮らしていた.
ところが、AJの中学校入学直前に、祖父が急死し生活は一変する。祖父に代わって両親を支えようと決意したAJだが、家計は厳しく、次々に届く請求書の対処方法も分からない。両親に保護能力が無いと判断されれば自分は施設送りになってしまうと、学校には祖父の死を隠す。不安でたまらない中で、AJはひたすら走ることに救いを求めた。しかしある日、ランニングシューズが小さくなり足が痛くて走れなくなる。新しいシューズなど買えるはずがないのに。
誰にも相談できず一人でもがいている思春期の少年が、周囲の人々と関わるうちに他者の個性を認め、善意にも気付いていく様子が、少年自身の言葉でエッセイ風に綴られる。人間は一人ではない。助けを求めて!という若い読者へのメッセージが感じ取れる。学習障害を抱える両親と生活する子どもの困難を示しながら、この上なく善良で愛情深い両親に、少年の方が支えられている一面も丁寧に描く。主人公と共にハラハラしながら読み進むことが出来る展開と、随所に心に残る表現が光る読みやすい文章。小学校高学年から幅広い年齢層に手渡したい作品として評価が高かった。
『平和のバトン
─広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』
弓狩匡純 著 広島平和記念資料館 協力
くもん出版 2019年6月
史上初の核実験をアメリカが実施し、その3週間後には広島市、続いて長崎市にも原子爆弾が投下された1945年。それから75年、地球上では、未だに核保有国を中心に核抑止理論がまかりとおっている。オバマ元大統領が広島訪問した2016年には、核発射命令装置を持ち込んだという報道があった。2017年には核兵器禁止条約が国連で採択され、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を獲得したが、核を持つ国々は容易に手放そうとはしない。「核なき世界」を人類共通の指針とするために、唯一の戦争被爆国として、次世代への記憶の継承が欠かせない。
本書で取り上げられた絵画プロジェクト『次世代と描く原爆の絵』は、広島の基町高校が2007年から取り組んでいる、未来へ手渡すことができる証言を視覚的に残す活動だ。被爆者たちの証言を丹念に聞き、1945年の被爆当時の記憶を絵画で忠実に再現しようとする高校生たちを取材している。被爆証言者の持つ記憶の情景を再現する作業は、「事実を知り、多くの人々と共有することで、絶対悪である核兵器の目撃者となることができます。」と語り部のひとり小倉桂子さんは言う。想像を絶する証言内容を、歴史を検証しながら自分の感性に取り込み絵画表現へと昇華していく活動の記録は、読者の想像力をも刺激し記憶の継承を促していく。
高校生が趣味や好きなこと得意なことを、生かして次世代への架け橋となる姿を描くことで、子どもたちが、未来への可能性に向けて自分らしい目標を持つ希望や意欲を示唆する力となっている。過去の埋もれた記憶を掘り起こし継承していくことの難しさと、だからこそ、繰り返し取り組んでいかねばならないと思いをあらたにそれぞれが自分の方法を模索する一助となる力を感じさせる作品である。
*9月19日(土)弓狩匡純氏 講演会(子どもの本・九条の会 2020学習会)
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『ソロモンの白いキツネ』
ジャッキー・モリス 著 千葉茂樹 訳
あすなろ書房 2018年10月
北極圏に住むホッキョクギツネが、シアトルの港に現れたことから、この物語は始まる。主人公は12歳のソロモン(愛称ソル)。2歳のときに母を亡くし、父親と2人きりでシアトルに住んでいる。先住民の血を引くソルは、学校では疎外感を感じ、忙しく働く父とは話す時間もなく、アラスカの祖母から毎週届く便りだけが故郷とのつながりだった。父の働く波止場に白いキツネがいると知ったソルは、ひとりぼっちのキツネと自分を重ねあわせ、心を寄せる。少しずつキツネとの距離を縮めていくソルだったが、ある日、キツネは捕まってしまう。ソルはキツネを故郷のアラスカに戻す決心をするのだった。
とても透明感のある作品である。文章は簡潔で美しく、凛とした空気感が漂う。悲しみ、孤独、いじめ、差別などが物語に織り込まれているが、白いキツネが鍵となって、それは少しずつ解けていき、心を閉ざしていた主人公と家族はお互いの悲しみに向き合い変わっていく。森でオーロラを眺める場面は、ソルの明るい未来を予感させ、希望が拡がる結末だ。文面から色彩が浮かびあがるような印象があるのは、著者のジャッキー・モリスが絵本作家でイラストレーターであることが大きく影響している。表紙を含めたカラーの挿画は作品のイメージを助け、読者を物語の世界へと一気に誘ってくれるだろう。幅広い対象の子どもに手渡すことができるこの作品は、とても静かで力強い。家族とのつながり、新しい自分、そして本当の居場所への一歩を踏み出す勇気を与えてくれる物語である。
『ある晴れた夏の朝』
小手鞠るい 著 偕成社 2018年8月
アメリカには今も、広島、長崎への原爆投下は、当時のやむを得ない正しい判断だったと考える人々がいる。本作では『戦争と平和を考える』というテーマで、アメリカの高校生8人が、地域住民を聴衆として開催した公開討論会が描かれている。広島と長崎への「原爆投下は、ほんとうに必要だったのか」に焦点をあて、肯定派と否定派に分かれてのそれぞれの立場からの主張は、相手の論点を予想し、資料を精査して入念に準備されたものだ。その白熱のディベートでは、太平洋戦争にまつわる重要な史実の多くが語られ、知識を得ることが力となっていくことが伝わる稀有な作品である。公開討論会の実況中継的ともいえる物語は、最後まで緊張感を味わえる臨場感があり、知識欲や論理力を刺激される読書体験となる。子どもたちの視野を広げ、多角的な思考を促す契機として作用する力を持っている。
多様なルーツを持つ人々が暮らすアメリカの高校生たちが、それぞれの視点から自国の原爆投下の是非を語る趣向であるがゆえに、子どもたちに客観的な視座で紹介することができるということも高い評価を得た。
巻末に付された関連年表はⅩ線発見から始まり「核に関する出来事」が2017年までピックアップされ、今の時代を見据えて丁寧に作られた作品であることがうかがえる。
『しあわせの牛乳』〈ポプラノンフィクション30生きかた〉
佐藤慧 著 安田菜津紀 写真 ポプラ社
2018年3月
近代酪農では、牛は牛舎でシステム化された餌を与えられ、人工授精で出産、搾乳される。搾乳量は多いが3~4年で肉牛へと商品のように扱われる。一方山地酪農を営む岩手県の中洞牧場では、牛は自由に歩き回り夜も外で過ごす。飼い主が生やしたシバを気ままに食べ(冬は夏につくっておいたサイレージを食す)出産も自然に任せ、乳が張ってくると自分から搾乳してもらいに山から牛舎に降りてくる。乳の量は少ないが8~10年は生きられる。
牛が幸せに暮らす牧場をつくりあげる苦労は多々あった。商業ベースに乗せるには一定の脂肪分が確保されないと価格が半減してしまう。山地酪農では夏場どうしても脂肪分が落ちてしまう。また、新たに販路を拡大する障壁等々もあった。
中洞さんは幼いころは積極的に勉強するほうではなかったが、目標が定まるとそこに向けて徹底した勉強をし、達成した。そのパワーはものすごい。文章からストレートに伝わってくる。
人が生きていくためには自然や生き物を大切に扱い感謝することを忘れてはいけない。子どもたちは毎日のように飲んでいる牛乳に関してこのようなことに気づき、考えたことはないだろう。本書は中洞さんの牛への愛情を軸に目標に向かう惜しみない努力が描かれ、生き方とともに国連が提唱するSDGsについても考えさせられる作品ではないか。
豊富な口絵写真が内容に即して素晴らしい。思わずどんなことが書いてあるのだろうと本書を読むきっかけとなっている。
『八月の光 失われた声に耳をすませて』
朽木祥 作 小学館
1945年8月6日午前8時15分、人類史上初の核攻撃が実戦で使用された。ヒロシマの上空約600メートルで炸裂した閃光。七万人もの命を一瞬にして奪った「光」を題材にした連作短編集『八月の光』(偕成社)が出版されたのがフクシマ原発事故で核の脅威を目の当たりにした翌年2012年であった。その後、2編を加え『八月の光・あとかた』として文庫化(小学館文庫)されたのが戦後70年の2015年、さらに本作で少年少女に向けた「八重ねえちゃん」と「カンナ」の2編が加えられ、原爆投下をめぐる7つの短編連作として刊行された。
どの短編にも、そこに生きる人々が情感豊かに丁寧に描かれ、原爆のむごさと人びとの苦しみが幾重にも重なり伝わってくる。一緒に被爆した祖母の弟のことを孫娘が祖母から聞く、あらたに書下ろされた「カンナ」では、核の放射能がどういうものだったのか、丁寧に説明をしている。孫娘の私が見た原爆資料館の出口に飾られた瓦礫の中に咲くカンナの写真に通じるような、表紙絵の満開の桜からカンナへという画が印象的で、新たな装丁も生きている。
世界が忘れてはならない原爆の「失われた声」を子どもたちに伝わるように丁寧に描き、ヒロシマの記憶と記録を、次世代に生きる子どもたちの心に刻みたいと願う作者の強い思いが伝わる作品となっている。
『ながいながい骨の旅』
松田素子 文 川上和生 絵
桜木晃彦 群馬県立自然史博物館 監修
講談社
骨のはじまりを約46億年前の地球が生まれた時からたどっていき、胎児の発達と重ねて紹介する絵本。
私たちの体を支えてくれている、骨の成り立ちや重要な役割を知ることができ、地球の自然の摂理が説明されている。人間の骨を中心に人体の進化についても語られ、生き物が陸に上がり、進化が大きく進んだことがわかりやすく伝わる。
左上に本文、右下に時代背景が書かれていて構成がよい。重要なポイントにはより詳しい註釈があり興味深く読める。骨(生き物の進化)という難しいテーマだが、柔らかで親しみやすいイラストによって、内容への理解と興味を抱かせられる点が評価できる。
海で生まれた生物がいかに陸に適応していったのか。「骨をめぐる むかしむかしの大ニュース」という形で歴史的事項のコラムがあり、生き物のつながりを見つめながら、地球の誕生から現在まで、骨がたどってきた歴史をたどっている。参考資料が絵本から専門誌まで掲載され幅広い年齢層の次への興味につながる。
科学的な知識をもって人の体について理解することは、自分自身と他生物とのつながりを意識し環境を大切にすることに直結していく。子どもたちにとって「いのち」を読み取るための有意義な1冊となるであろう。
『シロナガスクジラ』
ジェニ・デズモンド 作/福本由起子 訳/
BL出版
シロナガスクジラは、地球上でいちばん大きな生きもの。世界中の海に生息しているが、実際には、ほとんど目にすることはない。長さは30メートル、重さはカバ60頭分位で、陸上にはシロナガスクジラのように、大きな生きものはいない。生きものの骨は、陸上では、すごい重さを支えることができないからだ。海水の塩のお陰で巨大なクジラは浮くことができる。口は人が50人も入れる位の大きさだ。
本書では、その大きさや生態をわかりやすく対比し、作者独特のコラージュや色鉛筆、水彩などを使った手法の絵で、魅力的に表現している。読者は、登場する男の子に自分を重ね合わせ、まるでその場で経験しているように、興味を持ち楽しむことができる。
作者は乱獲や自然現象の変化で絶滅の危機にある「シロナガスクジラ」を大切にすることを訴え、自然界のあらゆるものを大切にしていくことを本書に託している。子どもから大人まで一緒に楽しみ、考えていきたい絵本である。
『レッド・フォックス-カナダの森のキツネ物語-』
チャールズ・G・D・ロバーツ 作/
チャールズ・リビングストン・ブル 画/
桂 宥子 訳/福音館書店
大自然の懐でたくましく成長していく野生動物の生活を、躍動感あふれる語りくちで物語る動物物語。自然とともに生きていくキツネの姿から読者の興味を自然界へと広げてくれる作品は、児童文学として高く評価できる。
自然の摂理を本能的に学びながら、度重なる困難を知恵と洞察力で乗り越えていくレッド・フォックスの姿は、生きる意欲を呼び覚ます感動を子どもたちに与えてくれるだろう。読者は、主人公のキツネに寄り添いながら自然の驚異と苛酷さを学ぶことになり、こうした読書体験は読者の心に深く残り、情感を豊かに育ててくれるにちがいない。長く読み継がれてほしい動物物語だ。1905年に出版され、世紀を超えて、今も英語圏で読み継がれている本作品を翻訳し、日本に紹介した功績に感謝したい。
詩人でもあり写実的動物物語の分野をシートンとともに確立した、「カナダ文学の父」と呼ばれるチャールズ・G・D・ロバーツの作品。
『深く、深く掘りすすめ!〈ちきゅう〉
世界にほこる地球深部探査船の秘密』
山本省三 著/友永たろ 絵/くもん出版
地球に生きるすべての生きもののために、私たちの地球の内部はどのようになっているのかを調べることが、探査船の使命。探査船〈ちきゅう〉の構造やしくみは一見複雑で難解だが、著者は綿密に調べて内容を自分のものとして把握し、子どもたちにわかりやすくかみ砕いて語ってくれる。挿絵も理解に大いに役立っている。1000m以上のパイプを垂直に海底に下ろすための工夫や引き上げるときの噴出防止装置など科学の最先端技術には目を見張る。パイプが採取した46万年前の地層に付いていた微生物が餌を食べたとは驚きである。
2011年3月11日、東日本大震災の震源付近の地層は、スメクタイトという水分を多く含んだ薄い層であったために、プレートの境目がより滑らかに動いて海面の浅いところまでずれたため、大きい津波となったことが突きとめられた。また最近注目されているメタンハイドレードの掘削には、より新しい技術が必要であると指摘している。
このような作品を通して知らなかったことを知る喜びが得られ、さらに知的好奇心が広がる。
『30 代記者たちが出会った戦争-激戦地を歩く-』(岩波ジュニア新書)
共同通信社会部 編/岩波書店
本書は「元日本兵の方たちが生きているうちに、あの戦争のことをしっかり伝えたい」の思いから、戦後70年である2015年に企画された共同通信社会部の連載記事を大幅に書き直したもの。30代の記者たち8人が「①記者が現地に足を運ぶ、②かかわった元日本兵や被害者らの話を聞く、③当時の状況に記者が思いをはせる―を、取材の課題にし(本書 おわりに)」激戦地を取材した。日本兵がどういった状況に置かれ、何を考え、どんなことをしたのか。一般の兵士は無謀な作戦の犠牲になったことも痛感したという。
これまで語ろうとしなかった人たちからの日本軍の加害の事実も報告されている。
「戦争体験者が今日まで生き、語り、伝え続けたことの尊さを」学んだことも伝えている。戦争を知らない世代から、さらに次の世代へ伝える確かな一冊として評価できる作品である。
『明日の平和をさがす本-戦争と平和を考える
絵本からYAまで 300 -』
宇野和美、さくまゆみこ、土居安子、西山利佳、野上暁 編著/岩崎書店
2000年から2016年に刊行された「戦争と平和を考える」子どもの本、約5万冊から300冊を厳選したブックガイド。「戦争って何だろう?」、「声なきものたちの戦争」、「伝える人 語りつぐ意思」、「平和をつくるために」など8章に、作家、研究者、図書館司書などが読みどころをしっかりと紹介している。若い世代にも手にとってもらいたいと、元「SEALDs」選書班や「安保関連法に反対するママの会」のメンバーも執筆。「読み継ぎたい平和の絵本」などのコラム18本も掲載している。本の舞台となった地域MAPや時代年表・索引など資料編も参考になる。
戦争のない平和な世界をつくるには、どうすれば良いのか、今こそ「平和」を考えるための本として高く評価された。戦争と平和の本を子どもたちに手渡すときに、そして戦争についての事実を伝えるためにも、「戦争と平和を考える」きっかけとなるブックガイドとして、中学生以上の子どもたちに手渡したい1冊である。